『ドライブ・マイ・カー』

医事課千野です。

今回は村上春樹原作のカンヌ映画祭脚本賞、アカデミー賞ノミネート作品です。有名な映画ですね。

ドライブ・マイ・カー (映画) - Wikipedia

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あらすじ:舞台俳優で演出家の男・悠介は、妻・音と表向きは穏やかに暮らしている。が、音は子供を亡くして以来、心に他人を寄せ付けない「黒い渦」を抱えている。夫を本気で愛しながら不倫を繰り返す音は、ある日くも膜下出血で急逝する。二年後、広島の演劇祭に参加する悠介は、寡黙な専属ドライバーの女・みさきや、音の不倫相手と思しき男・高槻と出会うことで、自身の過去を直視し始める。

村上春樹原作ということで、性描写が多く、物語も暗いです。いい映画ですが、人を選ぶかもしれません。
1.ディスコミュニケーションを乗り越えようとする話
(ディス)コミュニケーションがメインテーマです。舞台演出家の悠介は、演劇によって言語の壁、言語と非言語、障害の有無など様々なコミュニケーションの壁を乗り越えようと試みます。そうした経験を通じて、悠介は心に他人には理解不能な「どす黒い渦」を抱えていた音を理解したい、もう一度つながりたいという気持ちを新たにします。そしてそれが既にかなわないことを直視し、素直な気持ちを吐露して泣くのです。

私はこの映画を見ると、急逝した中学時代からの友人を思い出します。彼は、もし私が死んだら、そのことを心から悲しんでくれる人間でした。私がそれを知ったのは、彼が亡くなった後のことでした。

もっと話しておけばよかった。もっと優しくしておけばよかった。

本当に大切に思う人にはこの二つだけはしておいた方がいいです。何か事情があっても、生きてさえいれば、手遅れではないと思います。
2.音について
音が悠介を愛していたことは繰り返しはっきりと描かれています。悠介の舞台を「無理して」観にいくこと、交通事故にあった悠介を見舞うシーンで見せる所作の数々、悠介のために劇のセリフをテープに録音し続ける習慣。その音が不倫三昧だったことは、一見矛盾しているようにも見え、一方で共感可能なようにも思えます。
音は裏切っても裏切っても、傷つけても傷つけても反応の薄い悠介に対してこう思っていたかもしれません。


「自分は本当にこの人にとって唯一無二の存在なのだろうか」

一方の悠介は、音の前でこそ冷静さを崩さないものの、不倫現場を覗けば事故を起こすし、音の別れる決意を感じれば逃げ回るわけです。動揺しまくり、傷つきまくりです。
分かる。どっちも分かるぞ。
悠介側から見れば、深く傷つけられた相手の傍にいるのは怖いに決まっているのです。でも離れたくもない。愛しているから。
音は無茶苦茶に傷つけても何も言ってこない、かといって離れようともしない悠介の本心が知りたくて愛情表現と不倫を交互に繰り返すのです。
頭でっかちで不器用で臆病な悠介と、その悠介を理解したくて間違ったアプローチを繰り返す音。
二人は仕事などなげうって、時間を取って、ゆっくり話し合うべきだったのです。300万も払えば世界一周旅行くらいできるんだから、馬鹿になって遊びに行っちゃえばよかったのです。
でもそれができない。だって怖いから。どっちも怖がってるから。また傷つけられるんじゃないか、本当は愛が冷めてるんじゃないかって。
音の試し行動のユニークさは、愛情の深さと、それゆえの葛藤を夢物語に語る点にあります。音は初恋の人=悠介との関係を、今までとは全く違う二人になることで終わらせる、という結末を既に悠介に話してしまっている。しかし悠介がそれを拒絶したので間男の高槻に悠介と別れたいという欲望がはっきり投影された物語の「続き」を語ります。悠介が「新しい二人になる」という音の真の願いを受け止めないから、結果として「全てを終わらせる」ために間男が必要とされているわけです。そして上記の通り、傷つけられてますます遠ざかる悠介、それを見て自身への愛情を疑う音。絵に描いたような悪循環。
時間をちゃんと取って、傷つけ合わないようにお互いを尊重しながら、ゆっくり話がしたいですね。

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